「あれ?……ふふっ、よしよし。お前、どこから来たんだ?」
白い犬が春哉の足にすり寄ってきた。黒い斑が特徴の、愛嬌のある犬だ。
「なんだ?春哉、その犬」
遅い朝を迎えた数馬は、春哉の足元にすり寄っていた犬を見つけると、かがみこんで頭を撫でてやった。
「さあ?洗濯物を干していたらすり寄ってきたんです。かわいい犬ですよね」
クーンと鼻をならして甘える犬に数馬も春哉も表情を緩ませる。数馬も犬は大好きだ。ふと思い出したように土間に入ると、干し柿を手にする。
「食うかな?」
まな板に干し柿を置き、包丁を入れる。細かく刻んだ干し柿を手に春哉の元へ戻ると、犬は相変わらず春哉に可愛がられていた。
「干し柿なんて食うかわからんが……ほら」
掌を差し出すと白い犬は鼻を寄せて匂いを嗅いだ。そして少しだけ口に含み咀嚼する。どうやら気に入ってくれたらしく、今度は勢いよく数馬の掌にがっついた。
「おいおい、そんなに急がなくても逃げやしねぇよ」
「お腹が減っていたんですね」
黒が混じった尻尾を忙しげに振る白い犬は人に飼われている形跡がない。おそらく野良なのだろう。
「飼い犬とは思えませんが……一体どこから来たんでしょうね」
「いっそ俺らで飼おうか?」
「残念ですがそれは無理でしょう。ここは長屋ですよ?周りには皆さんがいます」
「それじゃあ長屋のみんなと大家に相談するぞ!」
「え?!ちょ……数馬さん!」
――――――――数馬さんは本当にやってしまいました。
その日のうちに長屋の皆と大家の許可を取りつけてしまったのです。
長屋のみんなは事情を話すと賛成してくれました。みんなはどうやらこの犬の愛嬌のよさを気に入ったらしいです。世話はみんなでやるからと、大家さんまで説得してくれました。
で、残る問題は。
「名前、どうする?」
数馬と春哉の長屋にみんなが集まった。今日の議題は「犬の名前」。
「数馬さんが決めてくれよ。お前さんはこの長屋の代表みたいなもんだからよ」
向かいに住む大工が言ったが、数馬は納得しない。
「いや、春哉が決めろ。こいつが一番先に懐いたのはお前だ」
「じゃあ……いいですか?」
どうぞ、どうぞ。みんなが首を縦に振った。春哉は花街で陰間の花形までつとめた人間だ。長屋暮らしの町人よりセンスがあるだろうという期待があった。
「“ブチ”なんてどうですか?ところどころにある斑が特徴でしょう?」
「…………」
期待は裏切られた。
(どうせなら“シロ”か“クロ”の方がよかったような気がする……)
一同の意見は一致していたが、春哉の意見を尊重し、“ブチ”に決定。
次の朝、春哉は早速餌をやろうと、干し柿の用意をして外に出た。しかし、そこにはブチの姿はなかった。
「ブチー?ブチー?」
「どうした、春哉」
「ブチがいないんですよ。ブチー?」
その声で長屋のみんなもブチがいなくなったことを知った。長屋の隅々、近所の店、さらには河岸の方まで捜索範囲を広げて日暮れまで懸命に探したが、どこにもいなかった。
「愛想のいいやつだ、飯には困らんだろう」
「でも……なんだか寂しいですね」
「娘を嫁にやる親父みてェな心境か?」
「うるさいです」
「……まぁ、いつか帰って来るだろ。お前のこと、好きだったみたいだしな。……はぁ……犬にまでモテる恋人を持つ身として、ブチに学ぶことは多そうだなぁ」
「褒められてるんでしょうけど……あんまり嬉しくないです」
細かく切った干し柿を一つまみ。ついで数馬も一つまみ。こんなものでよかったら、いつでも食べに帰って来いよ。
―跋(あとがき)―
テレビでやってた映画『南極物語』(1983年版)に感化されて書いてみました。普段からあまり映画を見ない人間なんですがこの映画だけは別。小さい頃に観て大泣きしたのを覚えていますが、いい年になった今でも泣いてしまうほどの名作ですよ、コレは。
というわけで犬ネタ。ブチ、結局どこへいっちゃったんでしょうね。それにしても春哉のセンスって一体……数馬を含む長屋の皆さんのセンスのほうがまだ幾分かマシなんじゃ……。
しかもショートストーリーのくせに長い……。精進します。